月刊笑福亭たま(2026年5月)

 しばらく落語を聴いていなかったので、久々にたま師匠の会へ。日曜の繁盛亭朝席だ。


開口一番は桂笑金さん、続いて笑福亭智丸さん、メインのゲストは桂慶枝師。朝10時開演、9時半開場に合わせて開演までに手洗いを使うことなどを考えると、私の普段の通勤と変わらない時刻に家を出ることになり、化粧など支度に時間のかかる家内はずいぶんと早起きをせねばならない。よって多少眠い感じで赴くのだが、不思議なものでいつも噺が始まると眠くならない。これはたまたま眠くなるような高座に出くわさずに済んでいるだけで、運が良いだけなのかもしれないが。

まず笑金さんは「狸賽」。子狸が子供にいじめられている場面から、助けられ解放され夜になって訪ねてくる場面までをバッサリカットし、恩返しがしたいという会話から始まるという、なかなか大胆な刈り込みようでちょっと驚いた。さげも、「五」の目を出そうとしておかしなことになるのは同じだが、入船亭で聞きなれた、「梅鉢」「天神様」と言われた狸が天神様の格好をしているのではなく、「二(二つの目玉で表現)の裏」と言われて白目をむく=賽の目が無いというものだった。
原型である、18世紀の上方で編まれた「軽口豊年遊」の中の話では「梅に鶯」から鶯に化けていたという結末だそうなので、「梅」がらみで天神様のほうが原型に近いが、現代人にはピンとこない恐れもある。それで白目パターンが生まれたのだろうが、これは笑金さんのアイデアか、あるいはそういう類型があるのだろうか。もっとも、大阪天満宮の横に建つ繁盛亭での高座であるから、天神様を出す方が神様も納得されるのではないかと思うが。

続いて智丸さん。笑福亭で「智」がつくということは仁智会長のお弟子さんだろうか。ネタは「馬の田楽」。最近聴いた記憶があり、「BS-TBS落語研究会」か「日本の話芸」あたりの録画だったかなと思いつつ、誰の高座だったか思い出せないまま聴いていた。家に帰って録画をさらってみたが見当たらず、一体何で見たのか聴いたのかさっぱりわからない。
それはともかく智丸さんはというと、大阪でいう「あほの子」をねっとりと演じてなかなかに達者と感じた。話の長い子供、母親、亭主と繰り返す波状攻撃も気持ちよい。

そして中入り前のたま師は「青菜」。なんとなく柳家の保守本流、十八番というイメージのあるネタだが、元は上方のネタ。物語のカギの一つである酒、江戸では普通「直し」と呼ばれていた酒なのだが、このネタでは上方での呼び名である「柳陰」というあたりに痕跡が残っている。もっともこの「柳陰」という風流を感じさせる呼び方がまた、風情のあるお屋敷の主の上品さを強調して、後半のドタバタとの転換をより鮮やかなものにしているとも思う。そしてたま師は、植木屋自身、そしてその女房の造形が濃いというかあほさ加減マシマシというか、暑い押し入れに隠れさせられてドロドロになって出てくる女房の生き絶え絶えの切れっぷりなど見事であった。
しかしこの高座の一番すごかったところはマクラで、口演中に携帯電話が鳴る事象についてのたま師の持論をここぞとばかりにぶちまけられたのだった。その説についてここにメモはしないが、それはもう、そりゃそうよとしか言えないものであったことは記しておきたい。中入り後に登場した慶枝師が、配信もある高座で自分ならあそこまではよう言いませんと関心するやら呆れるやら、神妙な顔で話しておられたのも印象深い。

その慶枝師は新作の「ハンカチ」。上方の新作は、個人的に人物造形が日常の延長にある感じでホームドラマのようだった。それはそもそも関西人が日常的に落語の中の登場人物のよう―家庭内でもボケたり突っ込んだりせずにいられない―であるからかもしれない。新作落語の経験値が圧倒的に低いので何とも言えないが、東京の新作の方が登場人物の異常性が際立っている―普通の人はあくまで普通だから、落語の登場人物にするにはある程度普通で無くしなければならない―ような…。と、妙なことを考えさせられた。

最後はたま師の「宇治の柴舟」。たま師の会はしばしば告知の段階で当日のネタを明記してあり、聞いたことが無いネタだったので予備知識を得てから臨んだのだが、変わったサゲだった。

絵の中の女性に恋をした若旦那が臥せってしまい、宇治に療養に行って絵にそっくりな女性の操る舟に乗り、もみ合って水に落ちて、「ええ(絵え)夢」だったというシンプルなものがポピュラーだそうで。その後若旦那が一念発起して家業に勤しみ、父親である大旦那が「茶柱」にかけて「我が家の『柱』が立った」と喜ぶパターンもあるという。

ところがこの日はそのどちらでもなく、その後若旦那は所帯を持ち、やがてある時妻の姿をふと見るとかつて見た絵の女性にそっくりで。その姿を絵に残してはどうかと言われて駄目だと言う。また誰かが恋煩いをしてはいかんから、と締めくくるのだ。

こうするとただの夢落ちの軽い噺が、何となく腰の据わったいい噺になって来る。たま師ご自身のアイデアだろうか。

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