韓国オカルトホラー「鬼胎 黒い修道女」
しばらく劇場で映画を見ていなかったが、久々になんばパークスシネマのWebサイトをのぞいたら、気になるオカルトホラーが2本あった。
1本が「鬼胎 黒い修道女」。主演はNetflixの「グローリー」で子供のころに受けた壮絶ないじめの復讐を果たす主役を演じたソン・ヘギョ、サポート役が同じくNetflixの「ヴィンチェンツォ」でヒロイン役だったチョン・ヨビン、加えて「ボイス」や「エスクワイヤ」などドラマでよく見るイ・ジヌクがわきを固めるという、なかなかによさげな配役である。
しかし、いつから公開しているのかわからないが、すでに1日1回の上映になっており、それも朝8時台だから、客入りはよくないのだろう。次の週には打ち切りになっているかもしれない。
それで土曜の朝に見に行こうかと思ったのだが、前日金曜から、同じく韓国ホラーの「神社 悪魔のささやき」という作品も封切られており、こちらは1日3回上映、その最初が11時となっていた。それで、「鬼胎」を見て30分ほどのインターバルで始まるのなら、その間にコーヒーでも飲んでいればよいだろうと考えて、2本続けて観ることにした。
私が子供のころ、少なくとも1980年代前半ぐらいまでは、たいていの映画は2本立てで上映されていた覚えがある。「日本沈没」のような話題の大作だとか、「2001年宇宙の旅」のような長尺の作品は例外として、邦画、洋画を問わず、封切りであっても2本立てが普通だった。いつの間にかそういうのは二番館(ロードショーではなく、過去に封切られた作品を組み合わせて上映する映画館のことだ)だけになって、今ではそんな二番館すら(大阪の新世界あたりを除けば)無くなっているのかもしれない。
だから、二本続けてみることなど特にどうということもない。はずだが…
少し寝不足気味で、気が付くと目を閉じていたりしつつ、観始めた。最初にホ・ジュノ演ずる神父が少年を相手に悪魔祓いをしていて、劣勢に陥ったところに、ヘギョ演ずる修道女ユニアが日本では灯油を入れるのに使うようなでかいポリタンクを持って現れる。そして悪魔が憑いた少年に中身をぶちまける。聖水をそんな風に使うのか、と、ちょっと面白くて少し目が覚めた。
しかし、ここで悪魔を一体倒して、次の展開かと思ったらそうではなくて、この少年に憑いた悪魔を祓う話がずっと続く。一本道で、多少の振れはあるがあまり遊びのないストーリーだ。これではまた瞼が落ちてくる。
ユニアは少年に憑いている悪魔は「十二悪魔」のうちの一体ではないかと訴え、悪魔祓いに長けているらしいバチカン(おそらく)にいる(らしい)韓国人の神父2名の名を挙げて呼び寄せるべきだというが周りの反応は薄い。悪魔祓いというものをキリスト教会(カソリック)が公式に認めるか否かという問題があり、心療内科の領域であると考える聖職者のほうが主流という状況。悪魔の存在を信じ祓うべきと考える者のほうがマイノリティとして描かれる。これは、現代を舞台とするエクソシストものの映画に共通する設定だろう。
少年はカソリック教会が運営する病院に入院しているようで、イ・ジヌクが演じる主治医のパク神父は悪魔の存在を否定するが、その助手の修道女、チョン・ヨビンが演じるミカエラは何かを感じている様子。実はユニアもミカエラも、母親が身籠っているときに霊がついた「鬼胎」で、ゆえに生まれつき霊感があるのだと。原題は「黒い修道女たち」で、邦題でメインに据えられた「鬼胎」はここからきている。
二人はともに少年を救う手立てを探すが、叙階、すなわち司祭や助祭としての任命を受けていない修道女には儀式を行う資格がない。少年を知り合いらしいシャーマン(女性であるから「ムーダン」だ)のもとに連れて行ったりもするのだが悪魔の力が強かったためか失敗。バチカン(おそらく薔薇十字団なのだろう)からは十二悪魔に違いないとお墨付きを得るが肝心の祓魔士たちは別件で動けないと言われ、いよいよ二人は自分たちの手で悪魔祓いを決行する。
事前にこの映画は「司祭」という映画のスピンオフであるという情報を得ていたが、「司祭」という映画は見た覚えがなく、気にせずにいたのだが、ある場面でカン・ドンウォンが登場して、「司祭」が「プリースト 悪魔を葬る者」であることが分かった。ではユニアが名前を挙げていた祓魔士は、「プリースト」の主役2人、キム・ユンソクとカン・ドンウォンのことなのだろう。
「プリースト」でキム・ユンソクとカン・ドンウォンが払った悪魔は「マルバス」で、これも作中では「薔薇十字団が追っている十二悪魔」の一体ということだが、「十二悪魔」というのは検索しても全く引っかからない。ソロモンの72柱の悪魔のなか、第5位がマルバス、第4位が今作で少年にとり憑いていたガミジンなので、もしかするとこのシリーズでは72柱の上位12柱を「十二悪魔」と呼んでいるのだろうか。
シャーマンのもとに連れて行った際、少年に被せていた頭巾の内側には「仏教のお札」(黄色い紙に朱色で字が書いてあり、道教のお札ではないかと思えたが…)が貼ってあったりして、とにかく使える神仏はすべて使うという感じ。このあたりは日本の「来る」に通じるものがあって興味深かった。
しかし、クライマックスでガミジンが少年に再び憑くかも知れないからと教会に向かわせ、着いたら鐘を鳴らせという話だったように思うのだが、悪魔の仕業かなかなかたどり着けず、ミカエラが一人で教会に向かって鐘を鳴らしていた。少年はたどり着いていたようには思えないのだが…それで良かったのか?

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